憲法のこころを聴く(1) 日本国憲法の〝こころ〟とは
(2)「おまかせ民主主義」はダメ
【正文】
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受(きょうじゅ)する。
【池田訳】
国政とは、その国の人びとの信頼を
なによりも重くうけとめてなされるものです。
その権威のみなもとは人びとです。
その権限をふるうのは、人びとの代表です。
そこから利益をうけるのは、人びとです。
まず前半部分です。国の政治は人びとの「厳粛な信託」、重みがあって、信頼して託したものなんですよ、と言っています。
アブラハム・リンカーン
後半は、第16代アメリカ合州国大統領、リンカーンが1863年、ゲティスバーグで行った演説の末尾にでてくる「人民の人民による人民のための政治」(“The government, of the people, by the people, for the people”) を言いかえたもの。これほど簡潔に民主主義を定義した言葉をほかに知りません。
このリンカーンの定義のすごいところは、「人民の」「人民による」「人民のための」を一体のものとしてとらえている点です。私たちのための政治を求めるならば、私たち自身による政治がされなければならない、といっている。自分たちで自分たちを治める。自治ですよね。
このことは、世界史の教訓なのです。優れた(と思われる)人におまかせでは、結局、人びとは不幸におちいる。人びとが自分自身で統治する以外に、「人民のための」政治はないのだ、ということです。
佐高信さんが岩波書店から『さらばおまかせ民主主義』というブックレットを出していますが、このタイトルは戦後民主主義の弱点を鋭く突いていると思います。なにしろ、国民の半数が選挙にいかないのですから、まさに「おまかせ」。
国民いじめの政治が続いています。しかし、これを変えることはできるのです。「人民による」という原理を強く働かせればいい。一人ひとりが「主権者学」を学び、発言し、行動する。人びとが観客ではなく、「主人公」としてふるまえば、状況は一変します。
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