骨が歌い、語り、踊る 海底骨歌

知らなかった
私が長生炭鉱のことを知ったのは、それほど昔のことではありません。
5年ぐらい前だったでしょうか。報道特集か深夜のドキュメンタリーで観たのだと思います。
海面に突き出たピーヤ(排気・排水筒)。その下に坑道があり、事故によって生き埋めにされ、遺骨は今なお放置され、眠っているのです。
太平洋戦争中の1942年、「水非常」(水没事故)で183人が亡くなり、そのうち136人が朝鮮人労働者でした。
その事実にも驚きましたが、その場所が山口県宇部市だということもショックでした。
広島で暮らして30年ほど経ちますが、その事実を全く知らなかったからです。
いつかは訪れようと思うものの、なかなか機会がありません。
すると、新宿梁山泊が宇部市で「海底骨歌」を上演するという報が入ってきました。
この機会を逃すまいと初日である9月21日、宇部市床波公園に建てられた紫テントをめざしました。
日本は、朝鮮人や中国人を各地の労働現場へ強制連行し、アイヌや沖縄出身者、そして日本人をも酷使して、戦争を支えました。
その歴史を、私たちはほとんど知りません。
熱く語り、歌い、踊る
この重いテーマが果たしてどのような芝居になっているのか。
「海底骨歌」とは、海底に沈む骨を悼む歌のことだと勝手に思っていました。
しかし、そうではありません。
海底に沈んでいた骨は、長生炭鉱の坑口が開いたことで姿を現し、新聞記者を相手に語り始めます。彼らがいかに生きてきたのか。
酒を酌み交わし、ケンカもし、熱く熱く語り、歌い、踊るのです。
たまげました。
語り、歌い、踊る骨は7体。
3体は、長生炭鉱の海底坑道に埋もれている骨。残る4体は、北海道の北炭夕張炭鉱、福島県の磐城炭鉱、福岡県の方城炭鉱、そして新潟県の信濃川からやって来た骨です。
炭鉱事故や過酷な労働によって命を落とした人、虐待され、殺された人。
朝鮮半島出身者、沖縄出身者、アイヌ、そして日本人――異なる時代と土地に埋もれていた骨たちが、長生炭鉱の海底に集まってきます。
日本の近代化と戦争を底辺で支えながら、忘却の彼方へ追いやられてきた人びとです。
その最期が悲劇であっても、生きてきた道中には、喜びも悲しみも、おかしさもある。
しんみりしみじみするけれども、決して暗くはありません。
脚本を担当した趙博さんは、「人間の本質を表現すれば、自ずと笑いになる」「悲しい、つらい話を笑ってもらいます」と語り、演出家の金守珍さんは、「悲劇と喜劇は表裏一体」と話しています。
歴史に刻む会
7体の骨の自分語りに、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の運動と、代表理事・井上洋子さんの人生が「らせん状」に交差します。
「刻む会」の運動と井上さんの人生は、現在進行形のドラマです。
「刻む会」は、忘れ去られていた「水非常」を歴史に刻もうと、1991年に結成されました。証言や資料を集め、犠牲者全員の名前を刻んだ追悼碑を建立。
そして、海底坑道に残された遺骨を遺族のもとへ返すため、坑口の掘削に取り組みます。
2024年9月、82年ぶりに坑口を発見。翌年8月には、坑道内から遺骨を発見しました。
井上洋子さんを演じているのは役者さんですが、役名も、実在する本人と同じ「井上洋子」です。
この日、上演前に「刻む会」主催のフィールドワークで井上さんご本人の説明をたっぷり3時間聴いたばかりなので、これにも驚きました。
井上さんも、どこかの席で芝居を観ていたはずです。それは不思議な感じだったのではないでしょうか。
骨が呼び覚ます
長生炭鉱の坑口は、刻む会の努力によって切り開かれました。
長生炭鉱について知ったラサール石井さんが新宿梁山泊の金守珍さんに声をかけ、脚本は趙博さんが書きました。
脚本、演出、俳優、コリアン音楽団、そしてムーダン(巫堂)によって、骨たちは呼び覚まされたのです。
おそらく、この芝居を観た人たちの多くは、長生炭鉱の今後を見つめ続け、「刻む会」の支援を広げていくことでしょう。
私たちは、骨に呼び覚まされたのです。
「長生炭鉱を平和公園に」という運動も始まりました。
現実が芝居となり、芝居が現実を動かす。
現実が動けば、芝居も変わる。
脚本家は大変でしょうが、そんな風に芝居が変わっていくのが楽しみです。
客席には、想像以上に多くの若い人の姿がありました。
フィールドワークの現場でも、「刻む会」の若いメンバーが活躍していました。
日本の未来を悲観するのはまだ早い。そう思ったのです。













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