豊子の乱 「私は言いたい」

昨日(10月21日)、再放送中の朝ドラ『ひよっこ』を観ました。
働いていた向島電機の工場が閉鎖されることになり、みね子たちは職場を失います。最後の日、仲間の一人、豊子が突然、工場に立てこもります。
青森から集団就職で上京してきた豊子は、頭がよく、負けず嫌いで、どこか人との距離をとって生きてきた女の子です。
その豊子が、鍵をかけた工場のなかから、自分の思いを語り始める。
「私はいいたい」
この言葉が、胸を打ちます。
機械は運び出され、会社はなくなる。
みね子たちにどうすることもできません。
立てこもったからといって、覆るわけではない。
そんなことは分かっている。
それでも豊子は、「いやだ」と言った。
これまで一度も「いやだ」と言わずに生きてきた豊子が、初めて、自分の身に起きた理不尽なことに対して声をあげたのです。
ファンの間では、この場面は「豊子の乱」と呼ばれているそうです。
みね子は心のなかで、これは歴史に残るような事件ではないかもしれないけれど、自分の歴史年表では、とても大きな出来事だと語ります。
人は理不尽な目に遭ったとき、いつでもすぐに声をあげられるわけではありません。
自分が間違っているのではないか。
我慢した方がいいのではないか。
声をあげても何も変わらないのではないか。
かえって傷つくのではないか。
悩み、逡巡します。
そして、多くの場合、「仕方がない」と自分を納得させようとします。
だからこそ、「私はいいたい」と声にすることには、大きな意味があるのだと思います。
先日観た映画『ファーストボイス』にも、心に残った言葉がいくつもありました。
「傷ついてもいいです。泣き寝入りしたくないんです」
「始めてみなければ、始まらない。レッツ・ビギン!」
「まず、たたかってみることが大切」
『ひよっこ』の豊子と、どこかでつながっています。
「いやだ」と声をあげる。「私はこう思う」と言ってみる。
すると、それまで一人で抱えていた思いを、受け止める人が出てくる。
豊子の声を、みね子たちは聞きました。そして受け止めました。
声をあげるということは、誰かに届く可能性をつくることです。
歴史の教科書には載らないような、小さな出来事かもしれません。
けれど、一人の人間にとっては、大きな出来事です。
人は声をあげることで、それまでの自分を少し変え、同時に自分の人生を自分のものとして取り戻すことがある。
そして、その小さな声が誰かの心に届いたとき、そこから新しい何かが始まるのではないでしょうか。












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