草の根はどよめく 2018年8月3日 平和行進 府中町

平和行進は3日、府中町に到着しました。

佐藤信治町長に激励の挨拶をしていたきました。

 

中村武弘議長も駆けつけて下さいました。ありがとうございます。

以下は、府中町原水協を代表しての挨拶です。


みなさんお疲れ様でした。

府中町議会議員をしております、二見伸吾と申します。府中町原水協を代表してあいさついたします。

町長も述べましたように、府中町も7月の豪雨災害で被災し、目の間を流れております榎川が豪雨から3日経って氾濫いたしました。多くの方にボランティアに駆けつけていただき、大変感謝しております。また職員のみなさんも被災地の復旧と、被災されている方々の生活再建のために昼夜分かたぬ奮闘をされています。

府中町は広島市との合併を退けた自治の町であり、それが被災地域復旧の大きな力になっています。

府中町議会は「原爆によって広島市とともに世界で最初に凄惨な被害を被った」町として1982年3月25日、全国に先駆けて非核町宣言を全議員で提案し、全会一致で可決し、町長も名を連ねています。まさに町をあげての非核宣言です。

宣言は「原爆によって広島市とともに世界で最初に凄惨な被害を被った府中町は、戦争放棄の日本国憲法の原理に基づき、恒久の平和を念願し、全世界の国民が平和に共存することを望むものである。……あらゆる国の核兵器の使用に反対し、安全で住みよい街づくり実現のため、ここに全住民と共に府中町を『非核地域』」とする」と述べています。

この年の8月5日には府中町主催で非核宣言都市首長シンポジウムを開催。80年代の国際的な反核のうねりのなか、1982年3月下旬から7月までの4カ月あまりの間に15の市町村が非核宣言を出し、そのうちの9つの自治体の首長が参加いたしました。府中町から始まった非核宣言都市運動は大きな流れになり、今日では1788ある自治体の91.3%、1632自治体が非核宣言をしています。

府中町議会は、この伝統を受け継ぎ、本年3月議会で「日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める 意見書」を議員全員が提案者となり、原案通り採択いたしました。

国際的な反核のうねりが起こり、府中町が全国に先駆けて非核宣言をした1982年に私は大学に入学しました。

そのとき、一冊の本に出会い、大きな感銘と影響を受けました。

「平和をたもつためには、核兵器と核兵器のバランスによるしかないとか、このようなバランスがたもたれていれば核戦争はおこらないとかいうのは、一種のおかしな理屈にすぎません。……核戦争やめさせるためには、核兵器をなくせという、非常にシンプルな解決。唯一の正解です」。そう書かれていました。

それから35年後、昨年7月に核兵器禁止条約が国連で採択され、12月には核兵器禁止条約の実現を働きかけてきた国際NGO、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞いたしました。

世界はいま、シンプルな結論、「核兵器の禁止」「核兵器の廃絶」に到達しました。日本は、被爆国であるにもかかわらず、このシンプルな解決の道ではなく、ありもしない「核の傘」などという理屈にこだわり、禁止条約に加わろうとしません。

しかし、世界が変わりつつあるように日本も必ず変わります。先ほど紹介した本のタイトルは『草の根はどよめく』(古在由重)。平和を願い、核兵器廃絶を願う草の根の人々の思いはいずれ、どよめきとなり、うねりとなって歴史を動かすに違いありません。

本日はお疲れ様でした。


明日4日、府中町から平和公園まで私も歩きます。

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